私は幼い頃、実の父親から性虐待を受けて育ちました。
その被害について、その後の生き難さについて、2014年に講談社から自伝を出版しています。
出版してから4年が経ち、心境が変わることもあったし、ここ数ヶ月の間で、性虐待について講演でお話ししたりインタビューを受けることが続いたので、改めてブログに記しておきたいと思いました。
私は石川県金沢市の出身です。私の家族は父、母、祖母、私の4人家族でした。どこにでもあるような、ごくごく「普通」の家族でした。特別に裕福でもなく、生活に困るわけでもなく、周囲からは「東さんの家は、家族仲が良くて羨ましい」といつも言われていました。私自身、性虐待の被害の記憶と向き合って、生きる力を取り戻そうと格闘を始めるまでは、「私の家族はいい家族だ」と思い込んでいました。
父は2008年に悪性リンパ腫のため他界し、今年でちょうど10年になります。
父が存命の頃、私はひどい摂食障害で(その当時は自分のことを拒食症だと認識していました)、でも、どうして自分が摂食障害なのか全くわからず、混乱を極めていました。慢性的なひどいうつ状態で、精神科で処方される大量の薬が手放せず、強い不安に襲われたときは処方薬を過量服薬(オーバードーズ)して救急車で運ばれるということが、年に何回もありました。リストカットもしていました。
父とは、最期まで「東家にあった悲しい秘密」について、語り合うことはなく、父はそのまま死んでしまいました。
母は今でも、金沢の実家に暮らしているようです。母には以前カウンセリングの場で、「私はお父さんからお風呂場で性虐待を受けていた。あの時、助けて欲しかった。」と伝えたところ「・・・さもありなん。」とだけ言って、その後はまた彼女自身の否認の世界に戻ってしまいました。
その後母には、私が書いた本を送り、また新聞の記事やテレビ番組などでも、母は何かしらの形で私の性虐待の告発について触れているはずですが、その件についてのコメントは一切ありません。
私の自伝のタイトルが『なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白』なのは、母に私の被害・私の傷つきを「なかったことにはされたくない」という強い思いが込められています。(もちろん、日本社会の中で、凄まじい被害の現実があるのに、まるでないことにされてしまっていることへのメッセージでもあります。)
私は、現在は「回復した」と感じています。でも、「回復」というのはとても難しく、「すっかり傷が癒えて元どおりになった」という意味では全くありません。
今でも、性虐待についてお話しした後は、心身ともに何とも言えない疲れ方をします。
今でも時々ひどいフラッシュバックに襲われることもあります。
ただ10年前と違うのは、それがPTSDによるフラッシュバックの症状で、必ずおさまると知っていることでしょうか。正直に告白すると、体調が悪く寝込んでしまう日などは、「どうして私だけがこんな目に遭わなければならないのか」「どうして加害者は罰せられることもなく、のうのうと生きているのか」と強い怒りの感情が湧き、その感情がさらに自分を追い詰めるというような、そんな日もあります。
2017年以降、#MeTooなどの動きもあり、性暴力被害とたたかう女性たちとのつながりができ、私を支えてくれています。一緒に怒ってくれて、一緒に泣いてくれて、一緒に笑ってくれて、励ましあえる友人たちとの出会いは、本当にかけがえのないものです。被害の形は様々ですが、「性暴力被害をなくしたい」という強い気持ちや、形容しがたい混乱と苦しみの日々は、詳しく被害を語らなくとも、「共に生き延びよう」と思わせてくれるものがあります。
性被害を容認していけません。これ以上の被害を拡げては絶対にいけません。
暴力と向き合うことは、ものすごくエネルギーのいることです。ですが、否認を続けてはいけません。
この記事を読んでくださっている方の中には、被害に遭った人もいれば、加害者の近くにいる人、もしかしたら加害している人もいるかもしれません。
まず、被害にあった人に伝えたいこと。それは「あなたは絶対に悪くない」ということです。
このことはいくら強調してもしすぎることがありません。どんな状況で起きたことであろうと、性暴力は卑劣な暴力であって、被害者に落ち度は絶対にありません。それでも自責の念が強くなることは、よくわかります。
でも考えてみて欲しいのです。例えば、急に棒で殴られてひどい骨折した人を責める人がいますか? 不幸な交通事故に遭って入院している人に、後ろ指を指す人がいますか? 性暴力被害も、暴力の被害であることにかわりありません。悪いのは絶対に加害した人です。
あなたはどこも汚れてなんかいないし、何も損なわれていません。何も変わってしまったりしていません。
性暴力被害を安心して相談できる場所も増えています。ぜひ相談に繋がってほしいと思います。苦しい症状が続いたとしても、理解してくれる人、助けてくれる人が、(信じられないかもしれませんが、)必ずいます。
もし加害している人がいたとしたら、必要な「治療」につながって欲しいと思います。
そして、皆さんに知っていただきたいのは、サバイバー(性被害を生き延びた人という意味です)は、意外と身近にいるということです。親しい大切な人が、実は過去に性被害にあっているかもしれません。そのくらい、性暴力被害は、残念ながら蔓延しています。
サバイバーの人の苦しみや葛藤について知っていただいて、今後性被害がない社会を作れるように、力を貸して欲しいと思います。
▷『なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白』(講談社)
Kindleでもお読み頂けます。
https://amzn.to/2zgHjzT
▷朝日新聞
性被害、カミングアウトした思い 元宝塚の東小雪さんhttps://www.asahi.com/articles/ASK2Q441MK2QUUPI001.html
▷ハフィントンポスト
「私は3歳から父親の性虐待を受けて育った」性犯罪被害者が訴える刑法改正の必要性https://toyokeizai.net/articles/-/170211
▷よりそいホットライン
http://279338.jp/yorisoi/
▷よりそいチャット
https://yorisoi-chat.jp
▷あなたの悩み聴かせてください SNS相談「中の人」ってどんな人?
https://withnews.jp/article/f0180813004qq000000000000000W02h10801qq000017841A
東さんのご著書を本日読んだばかりです。
なぜ購入しようと思ったかと言うと、私も、婚活中に肉体目的の性被害に遭ったことがあり、父からは、実被害には遭いませんでしたが、今思えば、しつこく体を洗われたり、手足をべたべた触られたり、母が繋ぎとめられない部分を私への父の関心で補っていたのでは、と疑問が湧いたからです。
私も性暴力被害者として、性暴力センターで弁護士、カウンセラーに繋がり、産科医の友人の性教育講演で、その体験を戯曲化して一人で演じた経験から、生きる気力を取り戻したので、この本を書かれた東さんの気持ちがよくわかります。
私も、私のせいではないのに、ひっそりと生きて行きたくなかったから、書いて、演じざるを得ませんでした。
本の中でとても共感できたのは、性暴力に遭うと自分の落ち度を責めるということです。
とても感心してしまったのは、家庭や学校などの閉鎖空間での、虐待の行われる心理描写、加害者側に簡単になれること、罪悪感の消滅が、表現されていることです。人生の真実だと思いました。
私は、中学生のときから熱心な宝塚ファンで、予期せず宝塚の話が書いてあり、嬉しかったです。そして、今日の今まで、宝塚に入れなかったことを残念に思って生きて来ましたが、今日初めて、入れなくて良かったと思いました。万が一入れていたとしても、私には、無理だったと思うし、そんな過酷な体験をしないように、何かの采配が働いたんだと思いました。繊細な人には無理な世界だし、耐える必要がないし、変わるべき慣習だと思います。
幼い頃に大きく心が動いたことを元に、戯曲を書いて演じる活動をしています。東さんは、とてもお若いけれど、私より、人生の先輩だと思いました。
東さんにしか表現できない役があるのでは。いつか、舞台女優としての東さんを見てみたいと思いました。