証言するのは、被害でも加害でも大変なことだから、できる人ができる範囲でやればいいと思ってきました。
しかし、今回の宝塚の件には、沈黙を破ってはどうでしょうか? そこにあったのは、本当に厳しい指導だけでしたか?
よく語られる宝塚“愛”とは、いったい何を指しているのでしょう。
OGが誰も「後輩が亡くなってかなしい」とも、「呼び出して囲んで暴言を吐いたり、寝かせないのは良くなかったと思う」とも、「あいつはスターになれなかったからひがんで嘘を言っているんだ」とも、一言も、なにも言わないのはいったいなぜでしょう。
後輩の死を悼むことも、今後このようなことが繰り返されないために、パワハラの実態を告発することも、”外部漏らし”ではありません。
ほとぼりがさめたら、同じことが繰り返されるのを見たいですか?
加害の片棒を担ぎ続けるのは何故ですか?
そうまでして、守っているのはなんですか?
教えてほしいと思います。
いまこそ、あの「お話し合いの部屋」に戻って”お話し合い”がしたい。何を考えているのか、何を守っているのか本当に知りたいです。
私の頃は、星組が”厳しい”から星組には配属になりたくないと言い合っていました。宙組は新しい組だから多少ゆるくて、配属された同期が羨ましかったものでした。
変わったんだと思いますが、いつの時代もどこの組でもあることなんです。宝塚の体制が、構造そのものが、問題なんです。
長時間労働もパワハラも、”厳しい上下関係”の中での当たり前の日常なので、「”いじめ”はなかった」と報告されるでしょう。
でも、例えば「みおりのデブじめ」と聞けば、中にいた人は、ああ、と、わかるはずです。
パワハラもセクハラもあったのです。
暴力を振るってはいけないし、暴力にあっていい人はいません。
ご遺族の方の訴えを拝読して、どれほど、どのように追い詰められていったのか、よくわかりました。
私もそうだったけど耐えたから、宝塚はそういう伝統だから、その人がたまたま心が弱かったから、ではすまされません。
人が死ぬほど追い詰めるような「厳しい指導」や「伝統」や「愛」の在り方はおかしいと、匿名でもいいから、沈黙を破ってほしいと思います。
本当はみんな、知っているのです。